ドラマ『相棒』から、規則を守ることの意味を考える

スポンサーリンク
仕事
この記事は約4分で読めます。

テレビ朝日のドラマ相棒といえば、水谷豊氏演じる杉下右京の「細かいことが気になってしまう。僕の悪い癖。」や「僕はもっぱら紅茶ですから。」といった印象的な台詞とキャラクターで大人気のドラマです。

私はこれをたしかシーズン5からリアルタイムで見ていて、もう相棒ファン暦は7年くらいになります。私が相棒の何に惹かれるかというと権力や感情に流されずに正義を貫く姿勢です。特に寺脇康文氏が演じる亀山薫とコンビを組んでいるときには、二人して権力や個人の感情、私利私欲に流されない姿勢があって微笑ましかったです。

さて、相棒を冷静に分析してみると次のようなケースが多いです。
(もちろんこれが全てではありません)

  • 権力者にとって都合の悪い事件が発生する
  • 警察の上のほうの人がもみ消そうとする
  • 杉下ら特命係は権力に屈しず、ひたすら真実を追究する

ここで素晴らしいのが、何者にも負けずにひたすら真実を求める姿勢です。そしてその先には「罪を犯した者は、例外なく法律に則って罰せられるべきである」という正義が彼の中にあることです。法律で定められているのに、それを個々人が自分の判断で曲げてはいけないという思想です。

これを会社での仕事に置き換えて考えてみます。例えば緊急事態で本当はやってはいけない手段をとって危機回避をするとします。牛丼屋さんの仕事で例えると、米を炊くことを忘れていたとします。炊き上がりまで間に合わない、さあどうしうようという状態。炊き上がるまで本来250gを盛るところを200gにして間に合わせようとか、コンビニや近くの弁当屋さんから米を買ってくるとか、色々な「本来やっちゃイケナイこと」が考えられます。ここで多くの人は「しょうがない」という発想でその場しのぎをしがちですが、杉下さん風に考えると、「米がないのだから、お客様に事情を説明して、米は出さない。そして徹底的に再発防止策を考えるべきだ」という考えになるかもしれません。

私はどちらかというと「しょうがないから」という発想でその場しのぎをする考え方が嫌いです。ちゃんと仕組み化できていないこと、想定が甘かったことの裏返しです。そしてその場しのぎをすると恒久対応の必要性が薄れます。だってもう発生しないかもしれないし、実害もなかったから。でもいつもその店のコシヒカリを楽しみにしていた人が、いつもと違う米を食べさせられたらどうでしょうか。
その場しのぎをしないと、店の店員にとっても実害が出ます。例えば一時的に米関係のオーダーを停止すると牛丼屋さんではほとんどの注文機会を奪われます。これは売り上げと店の評判に多大な悪影響を生みます。だから躍起になって再発防止策を考えるのです。スーパーバーザーのような店長の上司からもそれを求められるでしょう。

すこし観点が違うかもしれませんが、よくコンビニでは「廃棄食材を店員が持ち帰る」ということを耳にします。たしかに消費期限が切れてしまった食材を売るわけにはいかない。捨てるくらいなら必要としている人にあげようという発想も分からなくありません。でも私がアルバイトをしていたレストランでは「期限が切れたものは全てゴミ箱に捨てること。もったいないと思う気持ちを糧に、発注やスタンバイを改善しろ」という風に教えられました。たしかにその方が将来を考えると生産的な考え方だと思います。

すべて規則が大事というわけではありませんが、規則というものは様々な人が検討を重ねた上で作られてきたものです。その背景には個人が想像しえない様々な過去が凝縮されているはずです。一人の判断のほうが優れているという可能性は低いと重いますよ。もし規則やルールが間違っているというならば「規則が悪いから従わない」という発想でスタンドプレーに走るのではなく、「間違った規則を変える」という発想でいってみてはいかがでしょうか。周囲の人や先輩、上司と相談してみたらいいじゃないですか。そうすると背景を教えてくれたり、「ああ、そういう考えも盛り込まれているのか」と新しい発見もあるかもしれません。今まで悪法だと思っていたルールについても納得しながら仕事に取り組めるかもしれません。

少なくとも私は、杉下右京さんのその姿勢を1つ理想の姿と捉えて、できる限り自分の正義として追いかけ続けたいと思います。

 

タイトルとURLをコピーしました