「努力すれば成功する」というのは昔の価値観ですよ
こちらを受けての記事です。
最近、よく
コメント欄やツイッター、フェイスブック、ブロガーの方はご自身のブログで、ぜひとも、あなたの努力論を聞かせてください。
と書かれているので、今回ブログで努力論を展開したいと思います。
まずはじめに、8割がたイケダハヤトさんの意見に同意です。同意する部分は以下の通り。(引用)
特に重要なのは経済的な背景で、高度経済成長期だったら、そりゃ当然「努力すれば成功する」可能性も高かったと思うんですよね。
⇒これは間違いないですね。当時は簡単にいえば努力≒成果だったといっても過言はないでしょう。
生まれによる格差が明らかになる
⇒これは今回この記事を読んでハッと気づきましたが、同意です。自分の子供には良い努力をさせてやりたいので、しっかり稼ごうと思います。
努力して自分を変化させていくのは、それ自体が楽しいことだったりもします。
⇒私も努力自体が好きだったりします。貯金好きな人が、金がたまるという事実もさることながら、節約してる感に
喜びを感じるのと似たようなものでしょうかね。
「自分ならできるかもしれない」という自分に対する自信、自己肯定感が必要です。自己肯定が弱い人は、「自分には力がないので、努力しても無駄だ」と、努力することそれ自体を諦めてしまいます。
⇒ポジティブシンキングの重要性を強く感じます。ただ私はこれについては正確の問題ではなく、努力しても無駄だと思わないようにロジカルに考えればよいだけだと思っています。
ここから私の持論
タイトルに記載した式は
y = ax + b
の誰もが知っている一次関数の式です。私は次のように考えています。
代入される値は次のとおりです。
y:成功の可能性
a:努力の質
x:努力の量
b:背景、ポテンシャル
和訳して文章にすると次のとおりです。
努力は量だけでなく質も大切。例えば通訳として活躍して、将来は日本を代表する通訳者になりたいとします。
(x)100時間英語の勉強をしても、(a)単語を覚えるだけの人と、英会話教室に行った人では得られる(y)スキルは違います。そして(b)その人がもともと耳がよければ得られるスキルは高くなります。
yを成功ではなく、その可能性とかいているのは、あくまで成功の確率に過ぎないからです。英語が達者になったからといって要人の通訳ができるとは限らないのと同じです。
でもこの式はさらに連鎖します。
例えば自分はGLAYの大ファンで、(y)GLAYの海外ツアーの通訳をしたいとします。GLAYの通訳になるにはどういう営業を掛ければよいかを考え、(a)的確なアプローチをして(x)何度も営業をかけたとします。(b)もともとお抱えの通訳がいるとか、自分にはどうしようもない壁があるかもしれませんが、質の高いアプローチとあきらめない姿勢が買われるかもしれません。
質と量の掛け算でいくらでも成功のチャンスはある
努力だけではどうしようもない部分もあります。例えばスポーツにおいては生まれ持った体がかなりのウェイトを占めるでしょう。私は脳に遺伝はないと思っているので、知識労働に限っていえば努力が全てだと思っています。先ほどyは成功の確率といいましたが、これを100%にするように努力すれば良いのです。財政的な背景で大学にいけない人もいるでしょうが、それはy切片のbが少し不利なだけです。aとx次第でyはいくらでも大きくなります。
私は大学はハーバードや東大に比べれば圧倒的に平凡ですし、学歴アドバンテージはありません。(グローバルで戦うにおいて、日本の青山学院なんて、無名もいいところです)とりたてて人よりぬきんでるところもないので、グローバルで戦うためには人よりも圧倒的に努力をしないといけないと自分に言い聞かせています。そのために自分が心がけているのは努力の質の向上です。量は一日24時間と限られていますから、寝る間と遊ぶ時間を惜しんでも対して差はつきません。
ですので、周りよりも圧倒的に成長できる会社として今の会社を選んでいますし、仕事をするときには成長を意識しています。空いている時間があれば英語などの勉強やインプットのための読書をしていますが、質を高めるための努力にもさらに気をつけています。
たとえば新聞を上から下まで読むのではなくRSSやGunosyで自分にとって有用な情報を選り分けたり、今回のようにアウトプットすることで理解を深めたり。
ある営業のスペシャリストから次のような言葉を聞いたことがあります。
「究極の営業は存在する。100%正しいことをすれば、100%の確率で売れる」
営業という仕事に関わったことはないですが、難しいことは容易に想像できます。ですが、たとえば決めないといけない1億円の商談があったとして、その商談を確実に射止めるためにあらゆる策を講じれば、確実に射止められるというのです。「途中で決裁者が変わってしまってその人がN社(業界最大手)と癒着があってひっくり返されました」という失敗例は、想定不足やその後の対応での失敗があったからです。
理想を語っているだけと捉えられる言葉ですが、私は的を射ていると思います。「あらゆる努力を死ぬほど考えて行ったのか」ということを自問自答しながら成長⇒成功に向けて努力します。