面白いので、7年前に書いたmixiの日記を丸々引用してみます。

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僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない。 ブログ運営
僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない。
この記事は約3分で読めます。

私って、昔から周りからの影響を受けやすく、単純なんだなーと再確認させられた日記でした。
当時まだ10代ということで、文章がとてもひどいですが、ここはあえて基本無修正で挑みます。

 

僕は君に会うために生まれてきたのかもしれない。

◆ここから◆


最近なんとなく理解し始めた気がする。

つまり人生って素晴らしいな、楽しいな、こういうことを実感することができるんです。
今まで自分の中にあった価値観によると、例えば大金持ちになるとか、すんげー可愛いお嫁さんをもらうとかさ、よくあるじゃん!

確かにもしそうなったら本当に喜びだとは思うけど、人生の楽しみ方ってそういうもんじゃないんだなって思った。
そのことに気づくために、ジョナサンのアルバイトっていうのは本当に俺の価値観を揺さぶるには充分過ぎました。

「お客様のために」

確かに陳腐で、この言葉に何も意味を感じない人の方が多いんじゃないでしょうか?

僕はずっと料理専門っていうか、バイトではお客様と接する機会は皆無でした。だけど、去年から接客も始めるようになってお客様を見るようになって、びっくりした。

本当にいろいろな人がお客様なんだなって思いました。

一番すごいのは「明日から転勤でアメリカに行くんです。日本での最後の食事は家族揃って いつも来ているジョナサンにしようっていうことになったんです」

っていうお客様。

この人たちには本当に心の篭った、1000円の料理なら、2000円くらいのクオリティで提供して差し上げたいですよね。

たとえ自分がどんなに体調が悪くとも、疲れていてもそんなの関係ない。

なんか大変だと思いながらそういうことを実行していると、

「人のために自分が精一杯の力を出し切っているんだな」って心の底から喜べる状態になりました。

自己満足かもしれません。けどいいです。

 

最近はね、

終点でまだ寝ているひとがいたら、必ず起こします。

電車の座席に座っていて、疲れて居そうな人が立っていたら、何も考えず譲ります。

落し物があったら、どんなに些細なものでも届けます。

だって自分がこれらのことをしてもらったときって、本当に嬉しくないですか?

やっぱり社会的動物として、人のために生きることってそれ自体本能的に喜びを感じるようになっているのかもしれない。

俺に与えられた人生は、俺だけに与えられたんじゃなくて、
誰かに何かを与えるためのものなんじゃないのかな。

限られた時間の中で、少しでも多くの何かを少しでも多くの人に与えられるような人生を送っていきたいなと

そういう仕事につきたいんだけど…就職ってどれだけ自分の行きたいところにいけるんでしょうね…

つか最近語り日記ばかり書いている気がするw

やべーやべー普通の日記もそろそろ書きますんでw


◆ここまで◆

 

限られた時間の中で、少しでも多くの何かを少しでも多くの人に与えられるような人生を送っていきたいなと

ここらへんの考えは昔からあまり変わっていないんだなー。とか

一番すごいのは「明日から転勤でアメリカに行くんです。日本での最後の食事は家族揃って いつも来ているジョナサンにしようっていうことになったんです」

この体験は当時とても自分の心に突き刺さったのですが、日記を読み返すまですっかり忘れてしまっていました。

ログを残すって、やっぱり大切です。

どれだけ強く心動かされても、「これは忘れないようにしたい」と思ったほど感動したことがあっても、
風化というか時が忘却をもたらしてしまいます。【ブログのすゝめ】私が毎日ブログを書く理由でも書いたとおり、忘れたくない感情があったり今の自分を振り返りたいならブログや日記をやるべきだろうなーと思います。

 

ちなみに、
俺に与えられた人生は、俺だけに与えられたんじゃなくて、
誰かに何かを与えるためのものなんじゃないのかな。
というフレーズは、エヴァのカヲル君のあのセリフを意識していた気がします。

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