残業代を支払うことは正しいことか?というエントリーを読みました。このエントリーで述べられているのは「単純労働ではなくクリエイティブやコンペ形式の営業など、労働時間≠成果にならない仕事では残業代という概念はマッチしていない」ということです。
この考えは私が以前皆、ホワイトカラーを時間で管理するというアホらしさに気づいていないというエントリーで記載したことと同じです。つまり私は完全に同意します。
が、BLOGOSのコメント欄をみるとあまり歓迎されていないようです。せっかくなのでこの記事でのコメントを引用して私の考えを述べたいと思います。
従業員および経営者との間に、正しく評価する仕組みを構築しているか?
拘束時間と成果は等しくはないが、本人の問題なのか顧客の問題なのか上司の問題なのか?例えば、正しく評価する客観的に評価する仕組みは外資系は進んでいますが、それでも実態は上司との関係性が大事だったりもします。
例えば、デザイン職で、顧客が面倒臭い人だったら?バカ上司が?どうすんの?
すでにいろんな働き方があります。
頑張るためのインセティブも必要です。そのひとつが、残業代では?
特に新人に取っては。。
別の人も
これは、会社が社員の適正な業績評価が出来るという前提が無いと難しいね。
営業職であればフルコミッションでも良いのだろし、ブッキングと言う絶対軸があるから成り立ちやすそうだが。同時に1年だけでは結果の出ない、基礎研究のような分野もあるわけだし、1年単位のアウトプットで評価して行くと、失われる部分がある事も理解しないとね。
なるほど確かにその通りです。上司が無能だと正しく評価も出来ないので成果主義の導入は歪みを生むことが多そうです。ちなみに私が働いている会社では基本的には同僚同士で評価をしあう制度になっています。そしてその中に上司も一票として入る。もちろん実態とかけ離れていないかを上司もチェックはするという運用。これだと毎回15人くらいの同僚(違う部署でも仕事で絡んでいるなら。同じ部署でも仕事で絡んでいないなら評価しあわない)から評価を受けます。よっぽどイジメにあっていたら別でしょうが、上司が評価するよりも圧倒的に適正に評価されていると思いますよ。
ということで制度の工夫などは必要でしょうが、それが上手く行けばかなり納得感の高い仕事の仕方ができるようになります。
残業代については完全に否定するものではありません。完全に成果主義であったとしても、会社側の都合で仕事が忙しくて残業しないように頑張っても時 間的犠牲を払うことはあるでしょう。そういう場合にはその対価として割増賃金はもらうべきだと思います。わたしが嫌なのは「給与は完全に時間に比例して払 われる」という概念で、実態は時間と成果は比例していないでしょということ。
経営者が他人の身体と時間と体力を拘束したら対価が発生するのは当然だ
作業にかけた時間に比して、成果が上がらないことに対する金銭的な
リスクは経営者が負うべきものだ。対して労働者が負うのは勤務評価が
下がるリスクだろう。
コレだけ社会にずうずうしいフリーライダー経営者がはびこってる現状を鑑みるに
残業手当にフレキシビリティを持たせる提案なんて笑止だ
これは非常に難しい問題です。たしかに労働者と使用者の雇用契約では成果の中身まではコミットはしません。時間と体力を使っても全く成果が出ませんでしたといっても、それはいちおう雇用契約上の義務は果たしているのです。よって労働者は文句を言われる筋合いはないと。確かに理にかなってはいます。
こんなことをいうと負けかもしれませんが、
なんでそんな仕事に対するモチベーション低いんですか?
と思ってしまいます。
部活も似たようなもんです。たとえば野球部で高校野球を目指しているとして、一人やる気のないやつがいるとします。こいつは周囲のやる気マンマンモードに辟易していることでしょう。でもまじめに甲子園を目指している大部分のメンバーも彼の存在にうんざりしていることでしょう。どうせなら辞めてほしいとすら思っているかも知れません。
一つの組織においてメンバー間で温度差があるということは非常に問題です。特に会社というのはもともと「同じ志を持った人たちが目的のために一致団結する組織」です。なのに会社に生活の面倒をみてもらうためにぶら下がるだけの人はマジで早くその会社を辞めた方がみんなのためです。
と言いましたが、そういう人って「周りのためだから」という大義にはまったくモチベーションは感じないことでしょう。
早く日本がクビにし易い社会になって、こういうやる気のない邪魔な存在を排除できるような社会になれば良いのになと思う次第です。