「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」「常識主義」と決別しよう

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仕事
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最近上位○%の人になる本が流行っていますが、この『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』が最も私にヒットしました。この本はこれからの時代の生き方を4つのタイプに分け、どの生き方でも上位1%の人になれればその希少価値、市場価値が高まって食っていけるようになるだろうという内容です。4つのタイプとは次の通りです。

  • A:経済的価値(お金)を重視し、かつ権力志向な生き方(出世したいサラリーマン)
  • B:経済的価値を重視し、自分自身を磨いて技を身につけ、独立などを目指す生き方
  • C:経済的価値はそこまで重視せず、組織の中で上手に生きていく生き方。
  • D:経済的価値はそこまで重視せず、自分自身が好きでやりがいのあるものを求める生き方

私はこの4つだと私はBの生き方にあたると思います。

まあ誰かが
「週刊誌めくれば 人の個性は4つで決まる、と
そんならBIG MAMA 俺の個性はどこへ行ったの? 」
と歌っていたように完全に4つには細分化できず、私はAのように出世志向ももちろんあります。

GLAY / ROCK'N'ROLL SWINDLE

「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」を打ち破ろう


さてこの本の中で興味深い話が取上げられていました。
「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」を打ち破るという話です。
これはAを目指す人、つまりサラリーマンとしての出世などを目指す人の条件としてかかれています。

 私は常々、日本人が信奉する「正解主義」は由々しき問題だと考えています。
「正解主義」とは、「正解は必ずある。しかも、たったひとつだけ」という考え方。教育の現場で児童・生徒に刷り込まれているものです。
たとえば、国語の時間に太宰治の『走れメロス』を読ませて、「帰り道のメロスの気持ちに近いものを次の4つの中から選びなさい」と”正解”を選ばせる。
子どもは無意識に、「正解はひとつだけ。それ以外は間違いなのだ」という固定観念を植えつけられていきます。
その思い込みによる弊害が、「成熟社会」に入ったいま、さまざまなところで噴出している。「成熟社会」には、いつ何時も必ず正しい「正解」なんてどこにもありません。
これからの時代は、正解のない問題を解ける人間こそが、組織においてもリーダーになり、出世していきます。
私は「正解」ではなく、「納得感」をいかに導きだすかが重要だと考えます。
「成果主義」と同様、官僚制や大きな組織にありがちな悪しき習慣は、「前例主義」と「事なかれ主義」です。この三位一体の風土がはびこっている組織は、これから腐敗が進んでいくでしょう。
まず、社会の変化が激しいので、「前例」がそのまま通用する時代ではありません。過去にうまくいったやり方でも、それがそのまま通用するとは限らない。
となると、参考にできる過去のデータやノウハウがないので、どうしても失敗が多くなります。しかし、失敗を避けようとする「事なかれ主義」では、時代を乗り越えることができない。

<中略>

これまで勝負を避けてきて、失敗を一度も経験したことがない社長がトップにいる会社は、軒並みダメになるでしょう。
失敗をしたことがない人は、問題を解決する方法を知りません。正解がどこにもない中で、みんなが納得できる「納得解」を導き出せない。今後、失敗したことがない人は、現状維持も厳しくなっていくはずです。
橋下徹大阪市長は「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」を打ち砕いているトップの典型だと私は思います。公務員の世界はこの三位一体の主義にどっぷりつかっていますが、それを果敢に崩そうとしています。
大阪市の公式サイトの左上に、「大阪市役所は『前例がない』とは口にしません!!」というメッセージが表示されています。こんな役所は非常に珍しく、私は拍手を送っています。
もちろん、「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」の三位一体を打ち砕けば失敗も多くなりますが、その失敗を糧にして、次に活かしていくたくましさを身につけなければいけない。トライ&エラーを恐れていたら、新しい時代に組織のトップを努めることはできません。

引用が随分長くなってしましたが、どれも欠くことができないほど重要なメッセージだと判断したので、ほぼそのまま載せました。

正解主義に私も同様の問題意識を持っていることは昨日の記事(カーナビに学ぶ、仮説思考というアプローチの素晴らしさ)で書いたとおりです。前例主義というものも、正解主義の一つと捉えることができるでしょう。加えて、事なかれ主義はもっと性質が悪い。正解、前例がない、分からないから止めておこうという日本人の典型的な悪しき習慣です。
わたしなんかは、「誰もやったことがなくて正解がないなら失敗しても怒られないだろう」と勢いよく手を挙げます。もちろん失敗しないように最善の手を尽くすことが前提ですが、やれるだけやって失敗して、それを責めるような会社ならすぐに辞めてしまったほうがマシです。
幸い私の会社は失敗に対して非常に寛容なので困ったことはありませんが、日本の多くの会社ではそうはいかないでしょうね。

でもその多くの日本の会社のほうがやり方を見直すべきだと私は思います。引用中にもあるように、これからの時代は答えのないことだらけです。前例に従ったから失敗するというケースも出てくるでしょう。変化の激しい時代だからこそ、前例は答えではなく、1つの事例です。参考にすべきでしょうが盲信するには値しません。
そういう時代の中で、チャレンジや失敗を許容しない文化の会社は本当に先行き短いはずなので気をつけたほうが良いです。周囲をハングリー精神満載の猛獣に囲まれた現代の日本で、「前例どおり」にやっていくビジネスでは現状維持さえできないことは明白です。

座して死を待つか、チャレンジして成功を見出すか、火を見るより明らかだと思います。

常識主義もやめよう!


もう1つ、日本にはびこる悪しき習慣に、常識主義があると思っています。

日本は世界でも稀にみる、単一民族の島国です。そういう環境だと、自然と集団の常識というものが形成されていき、それに漏れる考え方は排除されていくのでしょう。日本人の中で非常識な言動をとる人がいると、徹底的に叩かれるシーンを良く見ますね。叩かれる理由が「非常識だ」というのも不思議な感じがします。個人的にはとても不思議なのですが、みなさんはどう思いますか?

橋下発言 あまりにも非常識

こんなのも不思議に思うんです。非常識罪があるなら分かる気もするのですが、非常識だからなんでしょうか?常識的な発言をしないといけないのに、非常識な発言をしたとしてつるし上げられているようです。私は橋下さんの発言については「【私は全面的に肯定】橋下市長の従軍慰安婦発言の意図は一体なに?」という記事も書いたことがあります。
この時は橋下さんの発言が「非常識だ」で一蹴されてしまっており、各議員らへのインタビューも「彼は本当に非常識だよね」という発言で終わりでした。「橋下は非常識だ」とだけ言って、肝心の慰安婦問題についての持論を一切述べない姿にあきれ返ったことを覚えています。

彼の発言内容についての議論を一切せず(言い過ぎでしょうか)、非常識な発言をした橋下さん自身を叩く行為。こんなことをしていたら、誰もこれまでを変える新しいアイデアなんて言えないでしょうし、これまで常識だと思われていた事柄について何もブレークスルーが出来ない世の中になってしまいます。

たとえば(これは実話ですが)小売店がこれまで付き合ってきた問屋から、新しい問屋に乗り換えることを決意したとします。理由は、それまでの問屋よりも安くて品揃えもよく、何より届けてくれるスピードが速いから。でも業界の文化として「付き合いの長い問屋を変えるなんて非常識だ」という考えがあり、非難されるとしたらどうでしょう。
そんな業界の常識を知らない私から言わせてもらえば、速い安い品揃えが良い問屋と付き合いたいに決まっているし、それまでの問屋が企業努力を怠ったから客が離れただけのことじゃないかと思います。それに業界全体が後発のその問屋を利用するようになれば業界全体で小売価格を下げられるでしょうし、エンドユーザーにもメリットがあります。そういうことまで考えないで、「非常識なやつらだ!」と言うのはいかがなものかと思います。

日本ではディベートや議論というものが活発に行われません。なぜか議論になりそうになると逃げる人が本当に多いです。めんどくさいとか、ハナから相手の考えが間違っていると決め付けて、「理解できないようなバカには付き合っても無駄」とか言って逃げたりします。
本当は正解なんてないはずなのに。それを議論することによって多角的な視野が得られてお互いにとって良い経験になるはずなのに、です。

正解があると信じ込んで生きてきた、またそれが世の中の常識だと信じ込んできた日本人の弱点だと思います。

「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」「常識主義」これらには、もちろん良いところもあります。正解主義、前例主義によって日本のルーティンワークは大いに成長しました。松下幸之助のような超カリスマの言うことをきいて事なかれ主義であれば、松下の思い通りが実現されたでしょう。しかしこれからの時代、同じようなやり方が通用するとは到底思えません。
「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」「常識主義」がたった一つの正解ではないということを肝に銘じて、考え方をシフトしていきたいものです。

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