「狭い門から入りなさい」青学のキリスト教教育についてチラッとご紹介

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私クリスチャンではありませんが、高校から大学まで青山学院育ちゆえ、キリスト教について結構勉強しました。この狭い門という聖書の箇所は、忘れもしないあの青山学院高等部の入学式の時に扱われた部分です。

少し青山学院高等部について触れておきますと(母校の宣伝!)、毎日礼拝の時間があります。
毎日2時限目が終わると、みんな聖書と賛美歌(の本)を持って礼拝堂に行きます。この礼拝堂、基金寄贈に携わった2名の方(プラットさんとスプロールズさん)の名前を永遠に残すために「PS講堂」と名付けられています。確か私が卒業した数年後に大規模な建て替え工事が行われていたはずです。
このPS講堂は入学式や礼拝に始まり、様々な行事で使用されます。青山学院高等部の先輩である尾崎豊も出場した音楽とダンスの祭典「ミュージックフェスティバル」もこの講堂で行われました。

ちなみにこれが私が出場したときの写真。若い!

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さて、毎日毎日礼拝の時間になるとPS講堂の、個人ごとに割り当てられた座席に座るわけです。パイプオルガン部だか、専門の当番の人がパイプオルガンを演奏しています。PS講堂の右前方の壁に今日の聖書の箇所と、どの賛美歌を歌うのか、説教する人の名前が掲示されています。

これをみて「おっ今日は✕✕先生か!」とか「おー!今日は『諸人こぞりて』か。そろそろクリスマスだねー」とか、色々考える人もいれば、座席についた瞬間に眠りだす人もいます。まあ私もカッコつけて1年生のころは寝た振りをしていました。。。

聖書の箇所はクリスマスのような特別な場合以外は、各担当の人が自分が話したい内容にそって選択することが多いです。前で話す人は多くの場合は自校の先生ですが、他にも近くの教会から牧師さんを招いたり、海外からの留学生が帰る前に話したり、夢を追いかけるためにアメリカに立つから中退する人など様々です。

留学生が帰ってしまう時など、お別れの場面では必ずと言っていいほど賛美歌はこれを歌います。そういうエピソードがあって、この歌は大好きです。

で、礼拝は賛美歌を歌って(生徒の多くは基本的に立つだけでしたが)、座って聖書のページを開いて担当の先生が読み上げるのを聞きながら自分も聖書を目で追い、その後は先生が話を始めます。だいたい15分くらい話していたかしら。
賛美歌が終わったらすぐ眠りにつく人が多く、私も前述のとおりその一人でしたが、ときどきちゃんと聞いていました。今になっては全部ちゃんと聞いていれば良かったと思うほど素晴らしく勉強になる時間なので、あの頃に戻りたいなと思います。

たとえば今日タイトルにした狭い門も良く話される部分です。

マタイ7章13~14節
「狭い門から入りなさい。滅びに通じる門は広く、その道も広々として、そこから入る者が多い。しかし、命に通じる門はなんと狭く、その道も細いことか。それを見いだす者は少ない。」

今日、ふとこの狭い門が頭をよぎって、「あーそういえば、僕がブログで書いている内容ってこの狭い門と通じるところがあるかもしれない」と思って記事のテーマに選んだんです。例えば

挑戦するからこそ安定するという、パラドックスのような現実

いつ「明日からお前インドね。」って言われるか分かりませんからね。

これらの記事はまさに「命に通じる道を得るために、楽でない道をあえて進もう」と言いたかったのです。書いた時は狭い門のことは忘れていたはずです。

よく「今は厳しい時代だと」言われます。私も何度かこのブログで書いてきました。そんな時代だからこそ未来を見据えて、ぬるま湯でなくて厳しい道を歩むことも大切だと思っていました。でもこの聖書は2000年くらい前に書かれたわけです。当時の人もぬるま湯に浸かっていてはダメだったわけです。程度の差はあるでしょうが、今も昔も生きるためにはそれ相応の努力は必要だったのだと思います。

ところでこの解釈は、微妙に違っている気がします。聖書ですので神様との契約について書かれているので、現代社会で生きるすべを書いているわけではないと思います。おそらく滅びに通じる道というのは神の国に入ることのできない、神様が良しとしない道という意味であり、命に通じるというのは神の国への道のことを言っているのだと思います。

厳密に言うとそうですが、私はどちらの意味で捉えても良いものだと思っています。むしろ「普段から自分を律し、楽な道に逃げずに自分に厳しくある」というスタンスについて、これは神様としても良しとされる生き方なのであると、太鼓判を押されたような気がします。

と、まあこのように聖書の箇所を引用して先生方がお説教されるわけです。全部聞いてちゃんと吸収していればもっと深みのある男になれたかもしれません。覆水盆に返らず。今後もっと成長しますから。

で、最後にお祈りをして、終わりの賛美歌を歌って礼拝終了となります。

このお祈り、私は結構好きでした。大体次のような感じです。

「天の神様。今日という日を与えて下さり、感謝します。本日なんらかの事情でここに集えない者にもあなたのお恵みがありますように。今日、我々は厳しい時代を生きています。右も左もわからない中で、どうか自分に甘えることなく、自分で自分の未来を切り開いてゆく力をお与えください。この祈りを、主イエス・キリストの み名によって、み前にお捧げいたします。 アーメン」

ちなみにアーメンはみんなで言います。私はほとんど言ったことがありませんが。なんだか恥ずかしかったのです。

そういえばキリスト教式の結婚式でこういった流れ、体験したことのある人もいるのではないでしょうか。

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まとめ


本当は狭い門の話をもっと繰り広げたかったのですが、もう何度も書いたなということと、青学の話を始めたら止まらなくなって、このような形式にしてみました。ちょっと1時間前の自分が想像しない形で出来上がりました(笑)

私は多くの日本人に違わず葬式仏教の家で育ちました。ときどき仏教の本を読むと「ああ良いこというなあ」と感動することが多いですが、まあ葬式仏教には興味がありません。そもそも仏教って死者のための宗教じゃなくて、生あるときにどう生きてゆくかを説いた宗教のはずですから、葬式仏教というはもう坊さんの金儲けのための儀式だと思って結構腹が立ちます。イケダハヤトさんも薦めていますが、内田樹氏のこのいきなりはじめる仏教入門 なんて、葬式仏教しか知らない人が読むと驚愕すると思うので一度読んでみていただきたいです。特に「宗教なんて」と勝手にATフィールド展開している人ほど。
(まあそういう人はこの記事、ここまで読まずに離脱してしまうか・・・)

ということで、仏教でもキリスト教でも食わず嫌いは良くないと思いますので、一度「どんなもんかしら」と覗いてみてはいかがでしょうか。

特にグローバルに活躍しようとしているビジネスマンにとって、相手の宗教を理解するということは相手とコミュニケーションをとるために必要不可欠なことだと思います。それは単純にイスラームの人に豚肉を出してはいけないとか、目に見える決まりを知るだけでなく、なぜその決まりがあるのか、なぜ守っているのかを理解することで彼らの根底にある思想が分かるのです。

以前紹介したアルジェリアの友人はとても敬虔なイスラーム信者でした。彼女からこんな内容のメールが来るわけです。

In Muslim Religion which is my Religion (and I’m Proud) ^^
We all believe that Allah created this world and we will all return to Him in the end of life.
so, in this religion, we can love someone without a reason, we just love him in Allah, so Allah will bless this love and we will meet in the end of world.
I just want to tell you that i love you in Allah and I hope to meet with you such in this life and the other one, dakara we are tomodachi!

結構イスラームのことを勉強したので、何を言わんとしているかを今では理解できます。が、一年ほど前の当時はあまり理解ができませんでした。
相手の思想の根底にある考え方というものを理解できると、コミュニケーションは非常に取りやすくなるし、それができないでいるといつまでも相手が何をいっているか分からないということになりかねません。

大人も子どももわかるイスラム世界の「大疑問」 池上彰を読んでイスラム原理主義の人たちがテロをやめない理由も理解ができましたし、宗教を知ると世界の見え方がよりクリアになります。

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