【怒り心頭】痴漢事件の裁判ってなぜこんなにクソッタレなんだ!!!

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思わず「怒り心頭に達し」と言いたくなるくらい、「怒り心頭に発し」ました。

このニュース(痴漢:起訴の男性、罰金40万円判決 被告側、控訴方針 /東京)を読んでいただきたい。

判決文をちゃんと読んだわけではないのですが、少なくとも報道されている「車載カメラの映像では左手の状況は不明。右手で携帯を操作しながら、左手で痴漢することは容易といえないが、不可能ともいえない」だけ読むと、津山被告は無罪として扱われるべきであると思う。

それはなぜか?以前このブログでも書きましたが被告は無罪として推定されるべきであって、疑わしいだけで証拠がないのであれば無罪となるべきです。

刑事訴訟法336条
「被告事件が罪とならないとき、又は被告事件について犯罪の証明がないときは、判決で無罪の言渡をしなければならない

今回の裁判において、犯罪の証明ができたのでしょうか?「不可能とも言えない」だとしたら津山被告の隣にいた人だって「不可能と言えない」わけですよね。もし被害女性の左に津山被告、右に別の人がいたら、その右の人にだって「不可能ともいえない」ですよね。それなのに津山被告をなぜ有罪にするのでしょうか。もちろん疑うに足る理由が他にもたくさんあったのでしょう。毎回痴漢にあうときは津山被告が近くにいたとか。でも刑事訴訟法で「犯罪を証明できないなら無罪にしなさい」と書いてあるわけです。なぜこれを蔑ろにするのか!

そもそもなぜ無罪の推定という原則があるかというと、それはこれまでの刑事裁判が冤罪をゼロにできていないからです。、“10人の犯罪者を見逃してでも1人の冤罪者をつくってはならない”という考え方です。

それこそ小沢一郎氏の裁判だって「有罪の証明ができない」から無罪になっているのですよ。参考:推定無罪の法則|暁の楽園街道

これを読んでいる皆さんだって、明日電車でいきなり手を掴まれて「この人に触られました」といわれるか分かりませんよ。そして無罪を主張するために裁判を受けたら「あなたがやってないことが証明できない」からと有罪判決を受けたらどうしますか?
痴漢じゃなくてもたとえば「僕の机においていた財布を知らないか?さっきまであったし、この部屋には君しかいなかったはずだけど」とイカニモな理由なだけで有罪になったらどうしますか?そうならないための無罪の推定なのです。

有罪になれば職を失うでしょうし、親戚家族も離れてしまうかもしれない。人生のすべてが終わってしまうと表現しても良いかもしれません。

もちろん被害者女性だって男には到底理解できないほどの苦しみを味わい、そして辛い気持ちと戦いながら告訴するのだと思います。でも罪のない人の人生を奪っちゃいけないということを考えると、痴漢においても無罪の推定の原則は守られるべきだと思います。
犯人を懲らしめたい気持ちは分かりますが、そもそも刑法は復讐の道具ではありません(参考:伊藤真のけんぽう手習い塾」)から、(とはいえ犯人への憎しみなどの気持ちを理解しないわけではありませんが)その点を勘違いをしてはいけません。

事実として痴漢の事件において有罪を証明するのは難しいでしょう。でもだからといって「犯罪を証明できなくても有罪判決を出して良い」という理由には絶対なりません。あってはいけないはずです。

それこそもっとたくさん車載カメラを設置して360度どこからも死角をなくすとか、電車の本数を今の10倍に増やして満員電車というものを無くすとか、絶対無理そうな対策が必要です。
でもこれらが解決できないから「満員電車に乗る男性のみなさん、誰かが罪を償う必要があるので、証拠はありませんが有罪になってくださいねo┤*´Д`*├o」なんて許される理屈がどこにあるんすかねぇ。。。

なぜこんな違法がまかりとおるのか

ちなみに【怒り新党】という番組でずいぶん新党(じゃなくて浸透)しましたが、
怒り心頭に達するという表現は語用としては誤りで、正しくは「発する」を使います。

ちなみに心頭の頭という字はあたまを意味しているわけではなく、街頭、店頭などと同様に「~のあたりに」という意味ですから、「あたまに来た」とか「あたまに血が昇った」という意味ではありませんので、ご注意くださいね。

ハタラクティブ
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