今回の記事は、「働く」と切っても切れない関係にある「生活」について書きます。
ちなみにMr.Childrenの『くるみ』の歌詞をモジって逆にしてみたので、この記事のサブタイトルは「みるく」としました。
さて、よくいう生活の安定について考えてみます。安定とはなんでしょうか。
初任給で年収300万円だったのが定年まで変わらずに続くことでしょうか。
⇒違いますね。
会社の業績がずっと良くもならず悪くもならず、毎日同じ仕事を延々とやることでしょうか。
⇒違いますね。
世の中に技術革新も起こらず、だからこれまでの伝統が淘汰されることなく、でも毎日未来にワクワクすることもない社会でしょうか。
⇒違いますね。
おそらく「どんどん良い方向に物理的にも精神的にも幸せ指数が上がっていって、決して下落しない。下落に怯えることもない。」ような状態を「安定」と呼んでいるのではないでしょうか。
つまり給料は年々上がっていって、子供ができたり毎日幸せな出来事があって充実していて、リストラに怯えることなく幸せがずっと続くことを安定というのではないでしょうか。
幸福を求めるのは人間としての本能だと思いますから、この考えを否定する気は一切ありません。でも一つだけ言いたいことは「それって結構高嶺の花ですぜ!」ということです。
高度経済成長から90年代くらいまでは多くの人が上に書いたような安定を手に入れられました。会社が勝手に業績向上するからのほほんと働いていても給料は上がったし、倒産の恐れも今ほどではなかったです。それこそ数々の神話を生んだ時代でしたから。
でも今は日本経済の成長は緩やかになってしまっています。つまり成長によって生み出される価値が低くなっているのですから給料のベースアップもできないし、出来たとしても幅は少ないです。これはもう当たり前の話です。去年より会社の利益が減ったのであれば「ボーナスが下がった」ことはもう仕方ないですし、文句を言える筋合いのものではないと思います。
こういう時代に安定を求めるのであればそれ相応の努力が必要ですし、私が考える「安定を手にするために必要な力」は対応力だと考えています。
今後は外的要因で幸せが揺らぐことが多いと思います。会社の業績悪化によるリストラなんて10年後にはバンバン起きているでしょう。沈まないと思っていた船に乗っていたのに沈んでしまったら泳いで岸まで自力で渡れるか、救助が来るまでの間、凍死しないでいられるかで生死を分けます。まあ泳いで岸までというのはものの例えです。
参考:沈まない船を探すより、変化の時代を泳ぎきる力を身に付けろ
外的要因に揺さぶられながらも持ちこたえることができれば、安定といえます。会社が倒産しても、その人が優秀ならすぐに就職先が見つかるかもしれませんし、既に貯金が沢山あって1年は就職できなくても食っていけるかもしれません。つまりひどい目にあってもダメージを受けなければ安定といえますし、今後の安定の姿というのはそのようなモノだと思うんです。
誰かが作ってくれて誰かに守られている安定というものは脆いです。これまでは日本経済、企業がむちゃくちゃ強かったですからそれをあまり感じませんでしたが、今後は守ろうとしている日本や企業が弱くなるのだから、誰が自分を守るのでしょうか。
いま我々が求めている安定というものは、当たり前の幸せではなくて努力しつづけた一部の人しか手にできないような特殊な幸せになると思っています。
アベノミクスで景況感はよくなっているものの、(これは全っ然マスコミでは報道されませんが)国債の長期金利は上がる一方で日本は大復活を遂げるか破綻するかのどちらかの道を進もうとしています。
日本が破綻したときに自分を守っていけるように力をつけておきましょう。
自己責任という話を前回とりあげましたが、今回のこの記事を読んで、それでも「大丈夫、大丈夫。」と高をくくってリストラにあって路頭に迷うような人のことは知りませんよ。
自分の身は自分で守る!
これからはそういう時代だと思うのです。