犯罪者だけを非難することは、トカゲの尻尾切りと変わらない

シェアする

気分が高ぶって…放火繰り返した中学女子3人

このニュースを受けてゾッとしました。何にゾッとしたかというと、一切悪いことをしているという感覚がなく、面白半分に放火を楽しんでいることです。そして社会がそういう少女たちを育ててしまったということについてです。
問題は彼女らがどうしてそういう行動を取るようになってしまったかだと思います。
これを解決しないと、実行した彼女らの人生だけを取り上げて、「非道な犯罪者に罰を与えた正義の日本国」になってしまいます。

通常未成年の場合は少年法が適用されて事件は家庭裁判所が審判を下しますが、悪質な事件の場合には家裁から検察に戻されて、通常の刑法の事件と同様に扱われます。今回の場合は検察官送致の対応が取られるものと推測されます。

14歳、15歳の少女達が何の悪気もなく、犯罪を犯しているこの現状は、「彼女らはアホか!」で終わらせてはいけないと思います。ものの善悪が判断できない年齢だとは思いません(一応刑法では判断できないことになっているが)が、なんでそういうことになってしまったのかを真剣に考える必要があると思います。学校でも良くない行動をとっていて先生がちゃんと教育できてなかったのか、小学校のときからそうだったのか。だとしたら先生のレベルが低いとも判断できるし、その場合は文科省にも真剣に考えてもらわないと困る。
刑事ドラマや暴力的なマンガがそういう人格形成に繋がってしまったのなら、社会的に暴力的な映像やマンガの存在や放送の仕方を考える必要があるかもしれない。

いずれにせよ、我々同じ社会に生きているものとして、彼女らがそういう行動をとってしまったこと、そういう考えを持ってしまったことに問題意識を持っていきたいものだなと感じました。社会という言葉を使いましたが、そういう風に社会を捉えられる人を社会人というのではないかと感じました。よく考えたら学生を卒業して自分で稼ぐようになったら社会人という定義より、よっぽどしっくり来る気がします。

問題を「自分ではない、なにか」の責任にしてはいけないでも書いたとおり、社会全体が歩み寄って、自分自身の問題として捉えて解決を目指していきたいものです。トカゲの尻尾切りでは社会はいつまで立っても良くならないなと思います。

ハタラクティブ
関連記事広告
スポンサーリンク

シェアする

フォローする

スポンサーリンク