私は仕事の虫ではありますが、社畜ではありません。
仕事の虫は「本の虫」から派生させた造語ですが、つまり「仕事が好きで仕事ばかりしている」という状態として使っています。かたや、社畜はしゃちく【社畜】の意味 – 国語辞書 – goo辞書によれば「会社の言いなりになって、つらい仕事でも文句も言わず働いている会社員を、皮肉を込めてからかう語。」とあります。前者は仕事に対するスタンスがポジティブであり、後者はネガティブ、やらされ仕事という感じでしょうか。
仕事の虫というのはさすがに言い過ぎたかもしれませんが、私は仕事自体に苦痛を感じたことは少なく、基本的には楽しんで仕事をしています。仕事のための勉強ならば苦痛ではなく(他の予定がなければ)土日を丸々費やすことも可能です。もちろん中には大変なプロジェクトや難しい交渉ごとなどで前日に憂鬱な気持ちになったりすることもあります。でも仕事の全てが楽しいわけなんてないと思っているので許容範囲です。
プロ野球選手だって野球が大好きでしょうが、そのために必要なトレーニングの全てを楽しいと思っているかというと甚だ疑問です。スランプで苦しいときには明日ヒットが打てるか不安になって「明日を迎えたくない」という気持ちになることもあるでしょう。
スキーが好きな人も同じです。雪山は寒いし、ウェアは高いし、転んだら痛いし、でもそんなことはスキーをする上で仕方のないこととして気にも留めていないのではないでしょうか。
働くことを楽しいと思っていない人は、仕事において発生する喜びや楽しさよりも、辛さや面倒くささが勝ってしまって、差し引した結果「楽しくない」と思っているのではないかというのが私の思っているところです。
◇私が考える、仕事の楽しいとき◇
- 目標を達成できたとき
- 自分の成果が誰かの役に立ったと感じたとき
- 成長を実感できたとき
- 難しい局面を乗り越えたとき
- 自分の後輩や部下の成長を感じられたとき
- 自分のプラン通りにことが運んだとき
◆私が考える、仕事の辛いとき◆
- 怒られたり、叱られたりしたとき
- ミスをしてしまったとき
- 仕事が難しくて自分の力の及ばなさに悔しくなるとき
- 残業ばかりで体力的にきついとき
- 残業によりプライベートが削られていると感じたとき
- 人間関係に悩みを抱えているとき
私の考えは次の通りです。人間関係の合う合わないは少し次元の違う問題ですが、その他は自分で対策が打てるものであると思います。怒られるとか、ミスをするとかは自分の責任でしょう。仕事が難しくて自分には無理だと思っても、その仕事に挑むことで自分を成長させることができます。残業がきついという時も、残業を減らすために業務時間に終わるように圧縮することができれば自分の「時間あたりの労働生産性」を高められたことになります。これらを克服できれば仕事が嫌になるケースを減らせます。
そして仕事を楽しいと思えるときとは、すべて「自分が行った成果に対する結果」なのです。目標に対して頑張って取り組んだから達成感があるのです。難しい問題から逃げずに挑んだ結果成長し、それを実感できるのです。自分がいろいろ工夫して後輩に教えたから彼らの成長を喜べるのです。しっかり計画を立てて着実に実行するからプランどおりにことが運ぶのです。大事なことなのでもう一度言います。楽しさを感じるときというのは自分の努力がその原因なのです。反対に努力なしに楽しいなんていうことはありえません。それは遊びです。
ニワトリが先が卵が先かの話になりますが、学生時代を思い返してください。成績の悪かった人に、勉強が楽しいと言う人がいましたか?反対に成績がよかった人からは勉強が好きだという言葉を聞いたことがないですか?好きこそものの上手なれという言葉がありますが、好きになると成果も上がるし、成果があがれば好きになるという好循環に持っていくことが大切です。
◇好循環◇
ちゃんとやるから成果が出る⇒褒められたり、認められたりして嬉しい。⇒もっと頑張る⇒もっと成果が出て嬉しくて好きになる。
◆悪循環◆
怒られたり、成果が出なくて嫌いになる⇒努力しなくなる⇒もっとミスしたり怒られたりする⇒さらに嫌いになる
ここでのミソは好循環のスタートを「ちゃんとやる」としていることです。つまり好きだからやるのではなくて、まずは好きになるために高い成果を出そうということです。私が土日でもビジネス書を読んだり、常に自分のスキルアップを図るのは、一生を共にする「働く」ということに対して好きであり続けたいからです。仕事を楽しいと思うのは、自らの努力がスタートラインです。
【最後に】
よく「働くのが楽しいとか、社畜の発想」ということを言われます。
言わせてもらいますが、社畜なんてクソくらえですよ。
使用者は労働力を必要としているから賃金を対価にして雇う、労働者は提供する労働力を持っているので、賃金を対価にして雇われる。本来会社と社員はお互い対等なただの契約関係です。これは当たり前のことです。それが日本では「会社という名のムラ・家族」のような価値観を持っています。だから「会社のために力をあわせて頑張ろう!」とかいう訳の分からない発想が生まれる。会社員なんだから会社のために働けとかいう考えは大嫌いです。
この点は脱社畜ブログさんと、根っこの部分で共通しているのだなと思います。
『ノマドと社畜』:ノマド論の白眉というエントリーにも次のようにはっきり書かれています。
「脱社畜とか言っているから、会社を辞めて自由に生きろって意見なんでしょ」と早合点する人がたまにいるのだけど、それはかなり危ない考え方だと思っている。僕は、現代日本に漂う会社に尽くすとか、会社に感謝するとか、そういう価値観は木っ端微塵に打ち砕きたいと思っているが(これを「精神的脱社畜」と自分は呼んでいる)、全員が全員、会社で働かなくても食べていけるとはさすがに思っていない。もし経済的にも脱社畜したいと思っているのであれば、まずは会社を辞めずにプライベートプロジェクトから始めることを僕はおすすめしている。
脱社畜ブログさんの記事は毎日読ませていただいており、精神的脱社畜についてはほぼ100%同意です。以前はてなブックマークで脱社畜ブログさんとの対比で「働くの嫌いな人と働くの好きな人の解釈、面白い!」というコメントをいただきました。確かに当事者である私も自分と正反対と思える場面がありますが、上記のように完全に同意する部分もあります。面白いなあと思いながら、このブログから大変多くのことを勉強させていただいています。
さて会社への接し方のスタンスですが、私は会社員は会社に対して、「労働するから金をくれ」というドライな考えで良いと思っています。そうでないといろんなプレッシャーに押しつぶされるのではないでしょうか。少し強めにATフィールドを張っておくくらいでよいと思います。その中で余裕が生まれたら少し優しく接すればよいのです。
私は欲張って「金をくれ。そして成長もさせてくれ。」と要求しています。会社もそれに応えて、私に難しいプロジェクトを任せてくれます。社畜どころか給与を貰いながら成長もさせてくれる、そういう意味では失礼な言い方をすると会社を利用させてもらっているとさえ思っています。
捉え方次第と思われるかもしれませんが、捉え方次第で楽しく働けるなら儲けモンです。この先まだまだ仕事とは付き合っていかないといけないのですから、楽しいのか辛いことに文句言うのかどちらが自分にとって良いことでしょうか。