最悪クビ?営業「サボり」の境界線を読みました。色々思うところはありますが、現在の仕組みの中では業務中のサボりは良くないといえるでしょう。でも根底には皆、ホワイトカラーを時間で管理するというアホらしさに気づいていないという、もっと根深い解決すべき問題があります。
なぜ現在はサボってはいけないのか?
会社との関係が「労働者は時間を売っている」からです。会社からしてみれば「9時~18時の8時間、20日働くことを条件に20万円の月給を払う。もちろん残業をお願いする場合は時間単価×1.25をお支払いする。だからこの時間は言われたとおりに業務をしなさい。」という形です。もっと突っ込んで言いますと「8時間は会社のために尽くさないといけない」という図式になっています。だから厳密に言えば業務中に私用メールをするのも、ネットサーフィンをするのも良くないことです。
なぜ時間契約なのか?
産業革命以降、使用者(会社側)と労働者という関係が出来上がり、使用者は労働者と労働契約を結んで使用する(労働力として使う)ようになりました。例えば紡績であれば機械を動かす人がいれば機械がどんどん作業していきます。つまり機械を動かすことができれば使用者側としては大助かりであって、それに従事してくれた人に対してお金を払っていました。
現在は労働の仕方がとても多様化していますが、使用者と労働者の関係はあまり変わっていません。時間=成果になりやすい単純労働と違って知識労働の分野では多くの場合、時間=成果にはなりません。でもまあ長く続いている制度なので変えられていないのが現状でしょう。
もう一つ、知識労働の分野でも時間契約である理由があります。それは労働者側を守るためです。基本的に会社が求めているのは成果です。ですから時間=成果にならないのであれば時間に対して給料を払いたくありません。営業なら何件受注したから今月はいくら給与を出そうという風にしたほうが良いに決まっています。でもそれは労働者を苦しめます。生活が安定しない、極度のプレッシャー、徹夜続きになるなど100%の成果主義はマッチョ系なサラリーマンでないと耐えられないと思います。
だから時間という見えやすい判断基準を用いて給与を払い、成果は出なくても一生懸命業務をしてくれたことに対しても給与が払われているのです。これは私を含めて労働者としては感謝したい仕組みではあります。
でも時間管理だけだとやっぱりダメ
とはいえ時間管理には弊害も多いです。皆、ホワイトカラーを時間で・・・に詳細は書いていますが、冒頭で紹介した記事にも書かれている通り、サボりたい時にサボれないという問題もあります。サボるというと言葉が悪いですが、自分の時間を自由に使えないと考えてください。例えばスペインではご存知のとおりシエスタ(昼寝)の文化があり、多くの企業が昼休み2時間だそうです。スペインから来た人や、「私も昼休みに寝ることで午後から高いパフォーマンスが発揮できる」という人も、労働時間の決まりがある会社では昼寝は出来ません。(ご飯食べて残りの時間でちょっと寝ることは出来るかもしれませんが)
大前研一さんの著書で次のような事例を述べられていました。(すみませんが今手元に本がなく、正確な引用ではありません。)
大前さんが日立製作所でエンジニアをしていたとき、オフィスの庭に出て歩きながら考え事をしていたときに、風紀委員の人が「今は業務時間なので自席に戻ってください」と言ってきた。「私はこうやって歩きながら設計を考えるほうが良いアイデアが出るんだ」「いえ、規則ですからダメです」
といった感じ。誰得な規則ですが、これも「あなたは決められた時間は決められたように働きなさい」と言われているようなものです。
単純作業のルーティンワークの場合は、決められた時間にそこにいるだけでちゃんとアウトプットが出ます。でも知識労働の場合はそれぞれがパフォーマンスを出すための環境は人それぞれです。中には「気分転換でマンガを一冊読むと、その後とても集中できる」という人もいるかもしれません。
私達はアウトプットを求められています。そのアウトプットを最大化したいのに、働き方の形態がネックになるのは本末転倒だと思っています。ホワイトカラーエグゼンプションをはじめ、解決策はいくつもあると思うので前向きに考えていきたいものです。(話が大きすぎてどう動いたら解決するのか分かりませんが)
ちなみに私の会社は時間に関してはかなり各従業員判断に任されているので、自分らが高いパフォーマンスを発揮できるように動きやすいです。就活生や転職を考えている人は、会社選びの際にそういうところも見たほうが良いかなと思います。