池井戸潤『シャイロックの子供たち』の感想→死んでも銀行に就職しない

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就活・転職
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シャイロックの子供たちのレビュー記事です。半沢直樹を書いた池井戸潤さんの銀行ものです。いろいろな立場の登場人物のストーリーが短編小説の様に書かれていながら、全体としてはひとつの大きなストーリーとしてまとまっているという面白い作品です。

非常に読み易く、一日あれば読みきれてしまうかも知れません。

で、私はこれを読んで「銀行なんて就職しなくて本当に良かった」と心から思いました。もちろんフィクションですが、先日銀行に就職した大学時代の友達に聞いたら「ほぼそんな感じ」とのこと。彼自身はその中でも上手に立ちまわっているようですが、「いつ失敗してすべてを失うか分からないのは怖い」と言っていました。

さて、銀行を象徴する箇所を沢山抜粋しました。読んでみたらどれだけ銀行という会社が働く値しないかわかるはずです。就活生は必ず読んでおくように!ネタバレになるので名前は偽名に変更します。

 マイホームを建てた途端に転勤の辞令が出る。買って間もない家を銀行の借り上げ社宅にさせられ、自分は泣く泣く築後二十年の集合社宅住まい──だが、そうなってみたところで、和山が特段悔しがったり怒ったりしたかというとそうではない。当然のごとく辞令に従い、なんの疑問もためらいもなく、人事部からあてがわれた狭い社宅へ家族もろとも越した。組織が決めたことに逆らうことはできない。いやむしろ、逆らうという発想そのものが和山にはなかった

まあ銀行みたいな転勤ばかりの職場で住むためのマイホームを買うというのはイケてないですが、そもそも転勤ばかりの銀行の制度ってそろそろ改めるべきじゃないかと。

思い出すと腹がたって目が眩むほどだが、実のところ、「目標だからやるのが当然だろう」という言葉しか外村には浮かばなかった。そういう銀行員人生を過ごしてきたのだ

これは部下に数値目標の指示を出すシーンで、「なぜこの金融商品を売らなくてはいけないのか」と反論された時の上司の反応。部下が命令された仕事に対して「なぜか」と疑問を持つのは良いことです。本質を考えているということ。それに対して本質を一切無視して「目標だから。命令だから。」としか言えない上司はダメでしょ。

「融資プレミアム研修」と名付けられたその研修は、昇格を間近に控えた中堅行員の中から、特に選抜された者だけが受けられる、いわば幹部養成研修として知られていた。 「よしっ」 参加要請を受けたとき、小橋は思わず拳を握りしめた。「これで間違いない」。そう思った。役付きへの昇進は間違いないと。  ところが──。
研修当日、小橋は布団から起きあがることができなかった。気分が悪く、吐き気がした。高熱にうなされ、ほとんど一睡もできず迎えた朝だった。  這ってでも行きたい。そう思って無理に立ち上がろうとして、貧血を起こした。 「照さん、大丈夫っ!」  度を失った妻の叫び声に驚き、生まれたばかりの絵子が派手に泣き出した。鼓膜に突き刺さるようだった。  研修、出世……小橋の胸の中でその言葉が執拗に回り始めた。研修という言葉は、そのときの小橋にとって、昇格と同義だった。これに参加し、優秀な成績を収めればトップ昇格は間違いないように思えたからだ。事実、その通りだったと今でも思う。  疲労が原因だった。融資は激務だ。とくに、研修で四日間店を空けるために、前日まで無理に無理を重ねて、体の悲鳴を無視していた。それが最悪の結果になって出たのだ。  電話で、研修不参加を告げる小橋に、麹町支店の副支店長は冷たかった。 「君を参加させるのに、支店長がどれだけ苦労されたか知ってるのか。自己管理もできないなんて」 「すみま──」  小橋の言葉の途中で電話は一方的に切れた。  突き放された気がした。今まで守られていたのに、急によそよそしくハシゴを外される。人事といっても、所詮は上司との人間関係が全てだ。風向きが変わるのを、小橋は肌で感じた

これは本当にひどい話です。部下が研修に行けるように上司が尽力するのは良いことです。で、小橋さんも研修のために頑張った。なのに体がついてこなかった。この時に上司が怒りを露わにしたのは「俺の顔に泥を塗りやがって」という感情でしょう。または「お前が研修に行って出世することで俺の出世にもつながるのに、どうしてくれるんだ」という感情があったのかもしれません。いずれにせよ部下が倒れた時に大丈夫かのヒトコトもかけられないような殺伐とした環境ですか。さらには体調不良で休まざるを得なかった研修がなぜ次のタイミングで参加できないのか甚だ疑問。一度のミスですべてを失うとかどんだけストレスフルなんだよ。超ブラック企業。

 ミナが指さした壁の向こうにあるのは、“〝役付き社宅”〟だ。課長代理以上が入居できる社宅で、間取りが一つ多い

こういう役職至上主義は嫌いです。

 手形や現金といった、いわゆる“〝現物”〟の紛失は、銀行員にとって致命的なミスだ。過失があればクビは大げさでも、出世には響く

ミスが出世に響く環境とか超ストレスフルだし、仕事に行きたくなくなる。わたしの働いている会社はミスは出世に影響しないと言っても良い。なぜならミスは無くならないとわかっているから。ヒューマンエラーは必ず起こる。どれだけミスをしないように工夫したかはプラスポイントとしてもちろん評価される。ミスを可能な限りダメージゼロでやり過ごしても評価される。ミスをしても再発防止策も考えられないようだと評価は下がる。ミスするだけで評価が下がるなんてつらすぎますぜ。

銀行では、同じ職場内の男女関係の破局は人事考課に響く。

なんでもかんでも査定なんだなあと思うと息苦しい

銀行員にとって、いや全ての会社人間にとって、職場の上司との相性がいかに大切か、それを思い知らされるような人事だった

人間と人間の相性なんてどうしようもないもの。絶対に合わない人もいる。そんなアンコントローラブルなことで待遇を決められるなんて嫌でしょ。「全ての会社人間にとって」とありますが、同僚同士の多面評価にすれば問題なし。同僚全員とウマが合わないなら何かおかしいでしょ。

部下の悪口イコール自らの保身。こういう管理職が、一番質が悪い。そして、こういう管理職が、銀行には最も多い

最低。

順当に昇進、課長代理にもなった。しかし、このまま順調なら同期トップで出世レースを勝ち抜けるか、というところで穴に落ちた。  半年前に着任してきた支店長とウマが合わず、ストレスから鬱病を発症。約一ヶ月間の休養を余儀なくされたのである。  職場復帰した男を待っていたのは、病気での長期離脱は出世に響くという常識通りの閑職への左遷だった

この人、できる人だったのなら活かそうとするのが人事の仕事のはず。出世レースというか脱落しなければ良いレースのようで、脱落しないようにうまく取り繕った無能が生き残るとかまじナメた社会。まるで免許を持っていても一度も運転しなければゴールド免許になれる制度と似ています。

 最初に赴任した町田支店で、年下の課長にいじめ抜かれた係長が、さらに郊外の小店舗に飛ばされた。その末路を目の当たりにしたとき、この組織で気持ちよく生きるためには出世しなければならないと、久保は悟ったのだった。飛ばされた係長は、久保が業務課に配属されたときの教育担当で、親切な男だった。人柄がよく穏やかで、理知的なその人は、残忍で抜け目無く、業績のためなら客を騙すことも厭わぬ上司の前に、葬り去られた。 「出世しろよ、久保。銀行では偉くならなきゃなにもできない。俺なんかだめだ

ひどすぎる。

不公正な人事に誰も口を挟むものはなく、ましていじめだと指弾する声も無かった。業績を上げることを至上命令とし、そのためには手段を選ばぬ“〝やり手”〟と評される課長は、ついて来られないものを確実に切り捨てていく。その課長の業績に依存している支店長は、課長の言うがままに人を動かし、失格の烙印を押された者を無情に飛ばしていった。  だが、久保は認められた。  実績を上げたからだ。最初のうちは、毎日罵倒される日々だった。だが、業績を上げるためには、客のことを考えてはだめだ、と気づいてから成績が伸び出した。  いつのまにか、「私の成績がかかってまして」と客を泣き落としている自分がいる。商品のリスクは目立たないように説明し、いいところだけを声高に宣伝する。気弱な客にはこれでもかというほどリスクの高い商品を売りつけ、相手が金利に疎いと見れば一般的な基準よりずっと高い金利設定でローンを組み、荒稼ぎする──。  そんな汚い商売を、久保は身につけていった。だが、その汚さを知るのは自分だけだ。リスクを負うのは客であって自分ではない。久保は次第に力を発揮し、やがて新人だてらに一目置かれる存在になっていった

太字下線にした部分、まあ現実問題こういう人もいるでしょう。一つ上にもあったように「出世しなければならない」というプレッシャーが強ければ強いほどそういう行員は増えていくでしょう。もうなにか歪んでいますよね。

ということで、最もブラックな業界は銀行でしょう。社会的地位が高いからあまりそういう人は多くありませんけどね。銀行という巨大な組織の中で窮屈に生きないといけない。半沢直樹にはなれませんよ。そして窮屈に生きていても報われるわけじゃない。それにしても銀行志望の学生が依然多いことには驚愕するのみです。

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