お久しぶりです。今年に入ってからこの超絶ポジティブ安東でも心が折れそうになるほどハードは仕事をしています。いわゆるハードワークと違うのは、ハードの意味が体力的にきついという意味ではなく、「ゲームの難易度」のハードのように難しい仕事をしているというところです。
とはいえ自分がその仕事にチャレンジして、思うように成果が挙げられないと凹むわけです。その凹みと立ち直りの繰り返し。毎日反省して、それでも上手く吸収できない自分との葛藤が現在の私です。
さてそんな状況ですが、最近は関係各位にドキュメントを作って私の考えている企画を共有するということを良くやっています。私が何十時間も考えてきた内容を1時間のMTGで伝えるためには的確で分かりやすい資料が必要ですし、そのためには私の頭の中がスッキリきれいに整理されている必要があります。これが中々難しいんですよね。
なんとかA4一枚の資料にまとめようとするも、必要な情報が漏れてしまったり誤解を生む表現になってしまったり。
で、そんなこんなでやっていると何のアウトプットも無いまま5時間が過ぎるなんてザラにあります。多くの人は心当たりがあるはずです。企画者が企画を考えてそれをアウトプット出来なかったら成果はゼロです。これはイカンと思って夜残業してなんとか成果にしようとしているのが今の私。ああなんてミットモナイ。
隣の先輩は自分の考えをアウトプットするのが非常に上手で、マジで速いんですよ。それと比較すると(少なくともそのスキルにおいては)完敗を実感するし、その人が残業せずにパパっと変える姿はメッチャカッコイイです。私は恥ずかしいですよ。
こんな私が仕事の遅さゆえに残業をすることになり、1.25倍の残業代をもらうなんて痴がましい(おこがましい)にも程があるなと実感するわけです。
単純に資料づくりという皆さんにもイメージしやすい仕事を例にしましたが、これはホワイトカラーの仕事現場のあらゆるシーンにいえることだと思います。私は一貫してホワイトカラーエグゼンプション賛成の立場を貫いていますが、そういうことです。
ちなみに資料っていうのが「すでにあるフォーマットに今月の売上数字を当てはめる」というようなルーチンワークならば、ある程度のExcelとタイピングスキル以降はスピードの改善もしようがありません。ここで私が言いたいのは、新製品の企画書のような創造性が求められて答えのない仕事のことを言います。
誰がやっても同じ結果しか出ないルーチンワークは、それこそ私がアルバイトでやっていたような「携帯電話の完成品を箱に詰め込む」ような工場の作業と一緒ですから、これは時間に対する給与の支払われ方が適していると思います。
まとめると
- 自分で考えて行う仕事(ホワイトカラー)は成果主義で給与は支払われるべき
- 単純なルーチンワークは時間に対して給与が払われるべき
というのが私の解釈です。残業代ゼロ、今後どうなるのでしょうか。